小学校の担任から褒められ、ますます絵を描くことが好きになった。高校から予備校に通い、東京芸術大学に合格。工芸科の漆専攻を希望したが父親に諭されて工業デザイン専攻へ。教授から「デザインの世界にも人間愛が基本にある」と教わり、ハッとした。卒業後はトヨタ車体に入社。車両のあらゆる部分のデザインを手掛け、時代の先頭を走るハードトップ車を車道で見かけるとうれしかった。家具や介護用具など、ものづくりは〝人の動き〟が起点。使い手のことを考えた工業デザインにこそ価値がある。3年たって予備校の経営者から芸大合格一号だったという理由で、経営を継いでほしいと再三乞われた。28歳で広島に戻り、美術専門学校も立ち上げた。一方、市民団体の会長として、被爆70年事業となった猿猴橋の復元や広島城天守閣の木造復元を実現する会、没後400年記念の毛利輝元の銅像建立などに携わった。それぞれの事業に人間愛が通底しているように思う。猿猴橋は学校を開校した地元で町内会副会長を務めたことが縁になった。公共の色彩を考える会の会長として提言をまとめ、市へ提出したこともある。ものづくりとまちづくり。人が人に思いを持って関わることで、次代へとつなぐ価値が生まれてくる。

担当記者:藤井

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